刈羽原発にて全7基を対象に電源の喪失を前提にした津波対策訓練が施行された。マスコミがしきりに宣伝している。 中越沖地震後、種々の隠蔽や不備が発覚して全基停止していたはずが、いつの間にか4基が現在稼働している。 東電も政府も、7基フル稼働させたいのが本音だろう。 その証拠に、東電の清水社長は4月17日、この度の福島第一原発事故がレベル7であったことを遅ればせながら公表したその直後に、刈羽原発3号機を再稼働したいと述べた。地元は仰天した。
またしても、国と東電とマスコミの、国民を取り込む広報活動、パフォーマンスが始まったようだ。
刈羽原発はすでに被災している。 建設時に想定されていた加速度の2倍以上の加速度が加わったのだ。原子炉の格納容器を設計した東芝の技術者が、壊れてもおかしくなかった、たまたま大きな損害がなかっただけだと述べている。 また、瞬間的強い力が加わったことによる圧力容器等の金属の目に見えない変形劣化が懸念される。耐震性は当然落ちているだろう。 次に大きな揺れにさらされた時に、被災した原子炉は、果たして耐えられるのか。 あるいは、先の中越沖地震による劣化により、使用していくうちに、天災以外の事故の起きる可能性はどうか。 そうでなくても既に30年近く使用されてきている原発なのだ。
地震の専門家方は、地震の規模を個々の震源域ごと、断層ごとに算出して予想されているようだ。 今回の東日本大震災も、最初は震源が何箇所もあった。最終的には巨大なプレートが動いた海洋型地震であり、マグニチュード9規模の超巨大地震であったと後付けで発表された。三陸沖中部、宮城県沖、三陸沖南部海溝より、福島県沖、茨城県沖、三陸沖から房総沖の海溝寄りの六つのもの領域が同時に震源となった。
なぜ、それぞれの震源域が別々に動くものと考えるのだろう? そして、同様に、なぜ、何本もある活断層がそれぞれ別だと考えるのだろう?
だから予想がいつも過小評価傾向に陥っているのではないか。 予想以上の地震があってから、「いくつかの震源域が(あるいは断層が)連動してこのような想定以上の規模になった。」と言う。 それらの震源域が、あるいは断層が繋がっているとなぜ考えないのだろう。地下にあるものの全体が見えないのはしかたがないが把握している断層は氷山の一角で、周囲の断層は一体である可能性をなぜ想定しないのだろう。 そうすれば、おのずと起こりうる地震の規模は、より大きく想定することになる。 中越沖地震の震源とされていた海底FーB断層は、より陸地よりの長い断層の枝に過ぎないという説もある。中越沖地震は、巨大な断層のごく一部が動いただけであり、本体が動けば、さらに大きな地震が起きる可能性があると言える。 原発再稼働を推進したい側には、想定外(したくない)であろう。
科学の進歩、技術の進歩はすばらしい。 しかし、それらは何のためか。人間のためではないのか。 人々が幸せになれるのではなければ、意味がないのではないか。 事故発生の予防も対策も、結局は立地となる地域住民へのへの思いやりがあるかどうか次第だ。 科学者たちには、知識と野心だけでなく、人類愛や思いやりのこころを培っていただきたい。
福島第一原発事故後、テレビ画面に登場しコメントされた経産省保安員や内閣府原子力安全委員会や東電関係学者らの面々には、被災した住民への同情はまったくと言ってほど感じられなかった。
ー参考ー 『原発と地震 柏崎刈羽「震度7」の警告』 新潟日報社特別取材班 講談社 「福島第一原発 本当の話をしよう 最期は人の手で止めるほかない」 週刊現代 2011. 5.7/14 講談社 「脅威のM9, 悪夢のツナミ 福島原発 超巨大地震」 ニュートン 6, 2011
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